「ピース・ピルグリムについて」に書きましたように、 ピース・ピリグリム(平和の巡礼者、Peace Pilgrim)の考えが簡潔にまとめ られた冊子「内なる平和への歩み(Steps Toward Inner Peace)」 について、本文以外の部分(「要約」、「考察」、「往復書簡より」、「平和の巡礼者の進展」)の日本語訳を順次掲載しています。
本文の日本語訳は、
Steps Toward Inner Peace(日本語)
をご参照ください。
以下は、「平和の巡礼者の進展(Peace Pilgrim’s Progress)」の日本語訳です。
内なる平和への歩み (Steps Toward Inner Peace)
平和の巡礼者の進展(Peace Pilgrim’s Progress)
ニュースレターからの抜粋(Excerpts from the Newsletters)
4通の手紙:ある日、自分宛の手紙に返事を書いていたとき、ある女性が 言いました。「人は平和のために何をすることができますか?」私は答えまし た。「この手紙に書いてあることを見てみましょう。」一番目の手紙にはこう ありました。「私は農家の主婦です。あなたと話しているので、私は平和のた めに何かを行っているべきだということを理解しました ― 私は4人の息子を育 てていますので、なおさらです。今、私は平和のために何かを成した政府か国 連の人に対して、毎日一通の手紙を書いています。彼らを称賛することで、心 の支えになろうとしているのです。」次の手紙にはこうあります。「世界平和 は、私には少し大きすぎるように思えました。しかし、あなたと話しているの で、私の町の人間関係協議会に参加しました。今、集団の間の平和に関して働 いています。」3番目の手紙にはこうあります。「あなたと話しているので、 私と義理の姉妹との間にある不和な状況を解決しています。」最後の手紙には こうあります。「あなたと話しているので、煙草をやめました。」あなたが世 界の平和のために、集団の間の平和のために、個人の間の平和のために、あな た自身の内なる平和のために何かを実行するときは、いつでも平和の全体の構 図を改善させていることになるのです。不和な状況に調和をもたらすとき、あ なたは平和を作りだすことに貢献しているのです。
最も価値あること:自然の中での素晴らしい滞在の後、しばらくの間私の 故郷であった街の通りを再び一人で歩いていました。午後1時頃のことです。 きちんとした身なりをした多くの人々が、青白い、あるいは、化粧をした顔で、 随分と整然とした列をつくって、忙しそうに、働く場所へと向かったり、そこ から出てきたりしていました。私は、色褪せたシャツと着古したズボンで、彼 らの間を歩いていました。私の柔らかいズック靴のゴム製の靴底は、高いかか とのきちんとした堅い靴の騒々しい音に並んで、音を立てずに進みます。より 貧しい者の側で、私は大目に見られています。より裕福な者の側では、少し ギョッとした一瞥を送る者もいれば、軽蔑の一瞥を送る者もいます。私たちが 歩く両側には、来る日も来る年も整然とした列に並ぶことを厭わなければ買う ことのできる物が陳列されています。それらの物のいくつかは、程度の差こそ あれ、役に立つものですが、多くは、全くのがらくたです ― いくつかものは 美をうたっていますが、多くは非常に醜いものです。何千もの物が陳列されて います ― しかるに、最も価値あるものはそこにはありません。自由は陳列さ れていません。健康も、幸福も、心の平和も、そこにはありません。それらの ものを手に入れるためには、皆さん、整然とした列から逃れ、軽蔑の眼差しで 見られる危険を冒す必要があるかもしれませんよ。
否定と肯定:私は肯定的なアプローチを選んできました - 私は、自分が 反対する悪いことを抑えつけるかわりに、自分が求めている善きことを強調し ます。否定的なアプローチを選ぶ人たちは、間違ったことについてこだわり、 判断や批判、ときには、非難という方法に訴えます。当然なことに、否定的な アプローチは、それを使う人間に有害な影響をもたらします。一方、肯定的な アプローチは良い効果をもたらします。悪は、攻撃されると、もともとは弱く、 ばらばらであったにもかかわらず、結集してしまいます。したがって、悪は、 攻撃されることで、効力と強さを与えられることになるのです。しかし、攻撃 がなければ、代わりに良い影響が状況にもたらされ、悪が消えていくだけでな く、悪をなす人が変化する傾向が強まります。肯定的なアプローチは励ましま す - 否定的なアプローチは怒らせます。人は、怒らせると、より低い本能に したがって振舞うようになり、暴力的で非合理的なやり方をとることもしばし ばです。一方、人は励ますと、より高い本能にしたがって、分別ある合理的な やり方で振舞うようになります。怒りは一時的なものですが、励ましは生涯に 渡る効果をもつことがあります。
平和のために働くこと:真に献身的な少数の人々は、調和から外れた人々 の集団がもつ悪い影響を弱めることができます。したがって、平和のために働 く私たちは、ためらってはいけません。私たちは、平和のために祈り続け、で きる限り方法で平和のために行動し続けなければなりません。平和のために口 を開き、平和の道を生き続けなければなりません。他の人々を触発するために は、平和について考え続け、それが可能であることを理解し続けなければなり ません。深く考えられたことこそ、私たちは現実に移す手助けをすることがで きるのです。一人の小さき人が、彼女の時間のすべてを平和に捧げて、ニュー スとなる。多くの人々が、彼らの時間の幾ばくかを捧げるなら、歴史をつくる ことができます。
幸いなるかな、見返りに感謝を期待することさえなしに奉仕する人々。彼ら は大いに報われるでしょう。
幸いなるかな、知りうるすべての善きことを行動に移す人々 - より高 い真理さえ彼らには明かされるでしょう。
幸いなるかな、結果を知ることを求めることなく、神の意志を遂行する 人々。彼らの報酬は大いなるものとなるでしょう。
幸いなるかな、同胞である人類を愛し、信じる人々。彼らは、人々の中の 善意に辿りつき、愛情深い返報を得るでしょう。
幸いなるかな、実在を理解している人々。彼らは、泥の服ではなく、泥の 服に息吹を与えているものが実在であり、破壊されないものと知っています。
幸いなるかな、私たちが死と呼ぶところの変化を地上の生活の制限からの 解放として理解する人々。彼らは、輝かしい変容をなす愛する人々とともに喜 びを得るでしょう。
幸いなるかな、人生を奉げ、それにより恩恵を得た後で、その先の道にあ る困難を乗り超えるための勇気と信仰をもつ人々。彼らは、もう一つの恵みを 受けることになるでしょう。
幸いなるかな、自己中心的な動機で内なる平和を求めるのではなく、霊的 な道に向かって前進する人々。彼らはそれを見出すでしょう。
幸いなるかな、天の王国の門を打ち倒すのではなく、謙虚に、愛をこめて、 清々しく、その門に近づく人々。彼らはすぐに通ることができるでしょう。
あなたは神を知ることができます:私たちの内に自身を現すように、宇宙 のいたるところに自身を現す、私たちよりも偉大な力が存在します。これが、 私が神と呼ぶものです。神を知るとはどういうことか分かるでしょうか - 神 の絶え間ない導き受けることでしょうか - 神の存在を常に気づくことでしょ うか。神を知るとは、すべての人間、すべての生き物に対する愛を映すことで す。神を知るとは、心の内に平和を感じることです - いかなる状況にも立ち 向かうことを可能にしてくれる穏やかさ、静けさ、揺らぎなさを心の内に感じ ることです。神を知るとは、喜びに充たされ、その喜びが沸き立ち、世界を祝 福するために広まっていくことです。私は今ただ一つの願望をもっています - それは、私のための神の意志を遂行することです - 矛盾はありません。巡礼 を歩くように神が私を導くとき、私はそのことを喜んで実行します。他のこと をするよう神が私を導くなら、私は同じように喜んでそれを実行します。私の 行うことが私に対する批判をもたらすなら、屈することなく、受け入れます。 私の行うことが私に賞賛をもたらすなら、その賞賛をすぐさま神に譲ります。 私は神が仕事をなすときに使う小さき道具に過ぎないからです。何かを行うよ うに神が私を導くとき、私には力が与えられ、必要なものが与えられ、道が示 され、話すべき言葉が与えられます。その道が容易なものであろうと、困難な ものであろうと、神の愛と、平和と、喜びの光の内に歩いていき、感謝と賛美 の詩篇をもって神に向かいます。これが、神を知るということです。そして、 神を知るということは、偉大な人々にのみ許されたものではありません。あな たや私のように小さき人間のためにあるのです。神はいつもあなたを探してい ています - あなた方人ひとりひとりを。あなたが神を求めようとするなら、 いつも神を見出すことができます - 神の法則に従うことによって、人々を愛 することにより、身勝手さ、執着、否定的な思考と感情を放棄することによっ て。そして、あなたが神を見出すとき、神は静けさの内にあるでしょう。あな たは心の内に神を見出すでしょう。
怖れについて:怖れほど、世界の平和や内なる平和を妨げる大きな要因は ありません。私たちは、怖れるものに対して、理不尽な憎しみを育てがちであ り、結局、憎しみと怖れに辿りつくことになります。このことは私たちを心理 的に傷つけ、世界の緊張を悪化させるだけでなく、そういった否定的な思いに 集中することにより、私たちが怖れる物事を引き付けてしまいがちです。何も 怖れず、愛を放射するなら、善きことが起きることを期待できます。この世界 が愛と信仰のメッセージと実践例をどれほど必要としていることか!
簡素さという自由:簡素さと奉仕に献身する私の生活が禁欲的で喜びがな いと考える人がいます。しかし、そういった人々は、簡素さという自由につい て理解していないのです。私は、自分の体に適切な影響を与える食物について 十分理解しており、卓越した健康を享受しています。私は食べ物を楽しみます が、生きるために食べます。私は食べるために生きているのではありませんし、 いつ食べ終わるべきかを理解しています。私は食べ物の奴隷ではありません。 私の衣服は、最も快適であると同時に、最も実際的です。たとえば、私の靴は、 柔らかい布地の上物と、柔らかいゴムの靴底を備えています - 素足で歩いて いるかのように自由を感じることができます。私はファッションの奴隷ではあ りません。私は快適さと便利さの奴隷ではありません - たとえば、私は、柔 らかいベッドの上でも、道路の横の芝生の上でも、同じように良く眠ることが できます。私は、不必要な所有物や意味のない活動という重荷を背負うことは ありません。私の生活は満ち足りており、善きものですが、混み入ってはおら ず、たやすく楽しげに仕事をします。私は、自分の周りのすべてに美しさを感 じ、私が出会うすべての人の中に美しさを見出します - 私はすべての中に神 を見るのです。私は、この宇宙を支配する法則を理解し、喜び楽しみながら、 その法則に従う中に調和を見出します。私は、「生のパターン」における自分 の役割を理解し、喜び楽しみながら、その役割を生きることに調和を見出しま す。私は人類との一体感と神との一体感を理解しています。私の幸福は、すべ ての人々とすべての物事に対する愛と奉仕の中で溢れ出しています。
私たちの時代の人々について:黄金時代の先駆けとなろうとするなら、人々 の中に善きものを見なければなりません - それがどんなに奥深く埋没してい ようともです。そうです、無関心、身勝手さが、ここそこに見受けられます- しかし、善きものもそこにあるのです。善きものに辿りつくのは、判断によっ て成されるのはではなく、愛と信仰を通して成されます。愛は、世界を核によ る破壊から救うことができます。神を愛しなさい - 受容と即応をもって神の 方を向きなさい。あなたの同胞である人類を愛しなさい - 友情と奉仕をもっ て彼らの方を向きなさい。「愛の道」を生きることによって、神の子と呼ばれ るように自分を適応させなさい。
霊的な成長は、肉体の成長や心の成長と同様の過程です。5歳の子供が、 次の誕生日に両親と同じくらいの背の高さになることは期待されていません。 1年生が学期の終わりに卒業して大学に入ることは期待されていません。真理 を求める学生が、内なる平和を一晩で獲得するとは期待されていません。
魔法の公式:対立を解決する魔法の公式があります。それはこれです:あ なたが利益を得ることなく、対立を解決することを目的としなさい。対立を避 ける魔法の公式があります。それはこれです:あなたが攻撃されないようにで はなく、あなたが攻撃しないように気をかけなさい。
未熟さについて:人々が本当に苦しむのは未熟さからです。成熟した人々 の間には戦争は問題とはならないでしょう - 戦争は不可能となるからです。 未熟さにあって、人々は、平和と、戦争を起こす物事を同時に望みます。しか しながら、人々は、子供が成長するように、成熟することができます。そう、 私たちの公的機関や指導者たちは私たちの未熟さを反映しています。けれども、 私たちが成熟するにつれて、より良い指導者を選び、より良い公的機関を設立 するようになるでしょう。事態は、私たちのほとんどが避けたいと望む物事に、 いつも戻っていきます- 私たち自身を改善するように働き続けましょう。
私のメッセージ:友人の皆さん、世界の状況は深刻です。人類は、恐々と よろめきながら、完全な混乱と黄金の時代の間にあるナイフの刃の上を歩いて おり、同時に、強い力が混乱に向かって押しています。私たち - 世界の人々 -が、無気力から目覚め、確固として早急に混乱から遠ざからることをしない ならば、私たちが大事にしているすべてが大惨事の中で破壊されるでしょう。
これが平和の道です。「悪しきものを善きもので克服しなさい。偽りを真 実で克服しなさい。憎しみを愛で克服しなさい。」
黄金律はうまく働くでしょう。これらは単なる宗教的な概念であり、実際的で はないと簡単に言わないでください。人間の行いを支配する法則は、重力の法 則と同じように厳格に適用されます。生の如何なる歩みにおいても、これらの 法則を軽視するなら、混乱に終わります。これらの法則に従うことで、この脅 えた、戦争に疲れた私たちの世界は、私たちが最も大切にしてきた夢をはるか に超える、平和と豊かさの時代へと入っていくことでしょう。
草の根の平和運動:あなたは、平和の道を求めるために、平和の祈りのグ ループとともに地域平和共同体を始めることができます。ある場所では、私の 本が、霊的な観点から平和を扱っているために、使われています。一つのパラ グラフを読み、受容的な沈黙の内に深く考察し、それついて語り合う。霊的な 真実がそこに含まれることを理解し、感じることができる者はみな、平和のた めに働く霊的な準備が整っているのです。
次は平和研究グループです。現在の世界の状況がどのようなものであるか、そ れを平和な世界の状況に転換するためには何が必要とされるかについて、明確 な構図を理解する必要があります。必ずや、現在の戦争のすべてを止めなけれ ばなりません。明らかに、私たちがともに武器を下に置くための方法を見出す 必要があります。心理的な暴力がまだ存在する世界において、肉体的な暴力を 避けるための仕組みを作る必要があります。すべての国家は、国連に一つの権 利を引き渡す必要があります - 戦争する権利を引き渡す必要があるのです。
私たち、世界の人々は、いかなる集団の幸福の上にも全人類という家族全体の 幸福を置くことを学ぶ必要があります。飢餓と苦痛が緩和される必要があり、 同じように、恐れと憎しみが緩和される必要があります。平和と関連して国家 の問題が幾つかあります。集団の間の平和のために成すべき仕事があります。 私たちの一番の国家の問題は、平時の状況に合わせて経済を調整することです。 対立を解決する平和的方法について広範囲に研究するために、私たちの政府の 中に平和省を置くことが必要です。それから、他の国に対して同様の省をつく ることを頼むことができます。
世界の問題と、その解決への歩みが、あなた方にとってかなり明確になったら、 平和行動グループとなる用意が整いました。あなた方は、徐々に平和行動グルー プとなることができます - 理解するに至った問題に対して行動します。平和 の行動は、常に、平和の道を生きるという形式をとるべきです。それは、手紙 を書くという形式をとることも可能です - 平和のために良いことを行った人 を賞賛するために、平和についての立法行為に関わった議会のメンバーや、平 和を題材に取り上げた編集者や、平和について学んだ友人に手紙を書くという 行動です。それは、平和をテーマとする市民集会や、平和を題材とする講演を 行うこと、平和についての文献を配布すること、平和について人に語ること、 平和展示会、平和行進、平和フロートといった形式をとりえます。平和の道を 約束する人々に投票するという形式も可能です。
草の根の平和活動は、きわめて重要です。この危機的な時代においては、すべ ての街に地域平和共同体があるべきです。そういった集団は、関心をもつ一握 りの人々と始めることができます。あなたから始めることができるのです!
- Newer: 自分とは何か
- Older: 内なる平和への歩み - 往復書簡より -
Comments:0
Trackbacks:0
- Trackback URL for this entry
- http://www.hoshitani.com/festinalente/2007/10/22/steps-toward-inner-peace-progress/trackback/
- Listed below are links to weblogs that reference
- 内なる平和への歩み - 平和の巡礼者の進展 - from Festina lente



